目的と手段は、しばしば逆転します。
例えば、転職するためにTOEICスコアを上げようと思って勉強していたら段々とTOEIC自体が楽しくなってきて、転職活動をせずにTOEICを勉強して受け続ける。
最初はTOEICは転職の道具という認識だったのに、いつのまにかTOEICが目的になっています。
こういう人は、揶揄されますね。
「目的と手段を履き違えているよ。TOEICは転職の道具でしょ?」
しかし、目的と手段を逆転させてしまうことは、本当に悪いことなのでしょうか?そんなにバカにされるべきことでしょうか?
目的と手段の逆転ということは実は全ての行為について起こっています。全ての行為は、ある人から見たら手段であり、他の人にとっては目的なのです。
同じ仕事をしていても、それをある人は金を稼ぐ手段とし、ある人は生き甲斐とします。普通の人にとって電車に乗ることは移動の手段ですが、鉄オタにとっては乗ることが目的です(ただし「乗り鉄」に限る?)。また、ある夫婦が居て、妻はセックスを子作りの手段と考えていて、夫はセックス自体が目的かもしれません。
そもそもほぼ全ての趣味というものは、もともと手段だったりした物を収集したり追求していって目的化したものです。スポーツが良い例で、元は狩りや生きるための手段だった行動を競技化したスポーツは多いでしょう。競歩など最も尖った例ではないでしょうか。超基本的な動作を競技化しているわけですから。
だから、あの人は目的と手段を履き違えている、と言うのは必ずしも批判すべきことではないのです。カントの哲学的な解釈をすると、むしろあらゆることを目的化するのはより崇高な生き方のように思えます。
ただ、何か絶対的な尺度があったり、目的を共有している人同士の場合は話が別です。ビジネスという文脈では、成果が一定の尺度で計れるため、ある目的を達成するための手段を目的化することはやはり批判されてしまうでしょう。目的達成から遠ざかるわけですから。
価値観や目的を共有している人が手段を目的化している場合は批判のタネになりますが、そうでない場合はそんなことで批判すべきではないと思います。
ビジネスという文脈では批判できますが、人生という文脈では批判できないのです。