なぜ英語を勉強するのか

英語を勉強していると、避けられない問があります。それは

なぜ英語を勉強するのか

というもの。究極の質問じゃないでしょうか。

人間は動機があって行動するという前提に立てば、これの答えがありきで英語を勉強しているというのが正しい順序なのでしょうが、人間はそんなに単純ではないと思います。なんとなく始めた英語にハマったり、当初は会社に言われて始めたのが、途中からTOEICの点数を上げることが楽しくなってしまったり、動機があって行動しているわけではない人というのは多いと思います。

私なんかはモロにその典型で、もはやなぜ英語を勉強しているのかよく分かりません。もちろん、その答えの候補はたくさんありますが、聞かれるとスパッと答えられません。

もともと大学では英文学を専攻していました。でもそれは教育学がやりたかったのに成績が悪くて教育学のコースが取れなくて、なんとなく英語は必要そうだから英文学専修を選んだというだけなのです。しかも英文学専修では日本語訳された小説を読んで感想を書いて終わりみたいなヌルい勉強でしたので英語を勉強していませんでした。英語力を上げる勉強を本気でやり始めたのはサラリーマンになってからなのです。

確かな一つの答えとしてあるのが、

英語で書かれた情報を自力で手に入れるため

です。就職したてのころ、私は、投資の勉強をしていました。

私の職場は絵に描いたような年功序列で、仕事をしていようがサボっていようが、年を取らないと収入が増えません。若いうちに自分のお金を増やしたかったら投資をするしか無いことに私は入社して早々に気づきました。

そこで注目したのが、海外に投資することでした。物凄く影響を受けたのが、この本

黄金の扉を開ける賢者の海外投資術

です。日本経済はもう成熟してるから、海外に投資するのが良いことを学びました。そして著者の橘玲氏は、外国の銀行や証券会社で口座を作って投資することを提唱していました!

私は賢者の海外投資に強く憧れました。少ない給料を海外に投資して何倍にも増やそう、などと思っていましたね。そのためには英語の書類を読んで理解できなければなりません。海外の銀行口座を作り投資する、というのが当時の私の英語学習の目標でした。

いちおうこの目標は達成しており、知り合いのつてのおかげもあって海外に銀行口座を作って投資はしました。でも全然儲かりませんでした。っていうか損しました(笑)

橘玲氏の本では、海外に口座を作る方法も紹介されていますが、同時に、国内の証券会社から海外の株式に投資をすることも強く推奨されています。特に海外の株や債権を買うインデックスファンドが推奨されてますね。

直接外国の証券口座を作るのはそれはそれで有効なのでしょうが、日本の証券会社から海外の株式に投資するインデックスファンドを買うだけでもなかなか良い投資ができるので、無理に外国で口座を作る必要は無いかな、と今では思っています。

投資に関してはもう英語は使っていません。今は何かの情報を特に求めているということも無いので、正直なぜ英語を続けているのかよく分かりませんね…。転職する、というのはもちろんありますが、転職だけが目標だったらここまで英語の勉強は続いていないような気がします。今は英語を勉強すること自体が好きで、その結果として何か良いことがあったら良いな、という感じですね。

 

私の英語歴 その11 TOEICへのリベンジ

その10の続き

私の英語歴を綴って来たこのシリーズも、今回で現在の私に追いつきますので、一旦終わりです。

20歳の12月にTOEICを受けて490点を取ってから、私は全くTOEICを受けてませんでした。英語はずっと勉強し続けていましたが。

また、TOEICは就職、転職に直結しないということも引っかかっていました。よくある「TOEICのスコアだけでは何もできない」っていう批判。そんなのを真に受けて私はTOEICを受けませんでした。代わりにUSCPA( 米国公認会計士)の勉強を始めたり、もっと無駄なことをやってましたね。ちなみにUSCPAは早々にあきらめました。

それが、5年ぶりにTOEICを受けようと思ったんですよ。

オンライン英会話に、フィリピン留学を終え、私はかなり英語が「話せる」という自信がありました。でもそのことを人と話しても、所詮私はTOEIC490点の男。

「え?リスニングだけで490点ってこと?」

なんて言われてしまう始末です。だんだんとこの状況が悔し くなってきました。

フィリピンに留学に行った時、その学校の生徒は私よりも特別英語ができるとは思わなかったんですが、みんなTOEICを受けていて800点とかやはり超えてるんですね。そういえば、大学の知り合いも、TOEICは800点超えてる人が多かったことを思い出しました。

また、社内でも、英語が好きだった ので英語を使う部署に異動したいと言っていましたが、私の英語力を証明する指標が一切無かったんですね。しゃべれるなんて言っても人事の人は信じてくれません。

私はTOEICを受験しようと決意しました。あいつらが800点取れるなら、俺も800点ぐらい取れるだろう、とようやく思ったんですね。

25歳の12月から勉強を初めて、3月のTOEICを受けました。TOEIC対策は実質3ヶ月ぐらいでした。

勉強内容としては、文法特急1・2、金のフ レーズ、公式問題集、全力特急、直前の技術をやりました。どれも2周ぐらいやりました。あとは公式のリスニングは音源を何回も聞き、音読もしました。

この対策は、幸運にも、英語力をTOEIC力として表現するためには最適なものだったと思います。

私のスコアは860でした。5年ぶりに受けてこのスコアは、私にとって満足できるものでした。自分の英語力を試験を通してしっかりと表現することができたと思います。

そして何よりも、久々にやったTOEIC対策はかなり楽しかったです。文法特急と金のフレーズは本当に、面白いぐらいTOEICの傾向を読み切っていて、進めるほどに私の脳はドーパミンを分泌させていました。私はあれほど嫌いだったTOEICにハマっていました。

とはいえ、最後に5問ほど(DP問題1つ分)塗り絵をしてしまい、それだけが心残りでしたので、6月に再挑戦しました。今度は885点でした。実はこの時も塗り絵をしてしまったのですが、何故かリスニングで470も取れたので奇跡的にこのスコアでした。

その後、私は通訳案内士という資格に興味が出たので、TOEICはしばらく中断していました。その次に受けたのは、1年4ヶ月後になります。

書いてきたように、私はTOEICスコア490から、860まで上げるのに5年かかりました。TOEIC対策は最後の3ヶ月だけですから、少ないと思います。860点のために5年は長すぎると思いますが、私は本当に英語が好きで、TOEIC対策以外の方法で楽しんで勉強していたのでしかたがないと思います。

現時点での私の最高スコアは885ですので、私の英語歴もひとまずここまでとします。また学習が進みましたら、続きを書いていきますので、ご期待ください。

私の英語歴 その10 国際交流にハマったあの頃

その9の続き

私の英語歴もついにその10を迎えました。書き始めたら色々思い出して、予想以上に長いシリーズになってしまいました。とりあえず現時点までの記録としては、この記事ともう1つで終わる予定です。

オンライン英会話をある程度やって英会話ができるようになって来たころ、私は国際交流にハマりました。市が主催する国際交流ハイキング的なイベントに行ったり、英会話サークルに行ったり。私の住む地域に日本語学校があって、けっこう英語圏からの留学生も住んでおり、私はLanguage Exchange とちょっとシャレた言い方で国際交流遊びを楽しんでいました。

生徒たちはだいたい20代ぐらいでしたが、どうも田舎で国際交流とか英会話と言うと、比較的年配の人の趣味のようで、イベントに来る日本人はそういう人が多かったです。田舎の若い人はヤンキーが多いので英語がしゃべれません。留学生は日本語学校に通っていても、普通の日本人と出会うわけではありません。でもせっかく日本が好きで日本に来たんだから日本人の、できれば自分と同年代の人と友達になりたいと思うでしょう。そんなわけで私は若くてそこそこ英語がしゃべれる稀有な人材として、国際交流遊びを楽しんでいました。

初めて英会話学校と旅行以外で英語を「実用」したものですから、私は有頂天でした。そこで、Language Exchange のサークルに参加するだけでは飽きたらず、自分でそういうサークルを作ってしまいました。日本語で話す時間と英語で話す時間が半々ぐらいの、ギブ・アンド・テイクで楽しんで勉強しましょうという感じの集まりです。

最初のうちは良かったのですが、留学生は長くても1年ぐらいで帰国してしまうので、私がせっかく仲良くなっても、みんなすぐに帰国してしまいました。恒久的に留学生を連れて来るシステムを構築できていれば問題無かったのですが、そこまで私の手腕はありませんでした。

逆に、日本人が増殖し過ぎてしまいました。特におばさん。やはり田舎で英会話と言うと、おばさんの趣味なんですね。

おばさんでも、既に英語できる人や毎日頑張って英語の勉強してる人なら良いんですが、だいたいが英語ができないけどなんか外国人と仲良くなりたいから来たというおばさんで、段々と私は、何か違うなぁと思い始めました。私は英語(留学生は日本語)を勉強するサークルを作りたかったのですが、おばさんは勉強は嫌いでした。

早い段階でコンセプトを明確に打ち出せなかった私のミスでした。別に英語できないおばさんが国際交流するのは自由なのですが、そういう人のために私がボランティアで会合の内容を考えたり留学生を集めるのは違うよなぁと。やる内容のレベルについても英語できないおばさんに気を使ってしまっていましたし。今思えばおばさんに気を使い過ぎたかな?という感じです。

別に自分が楽しむためにやっていたので、おばさんのために、というのはおかしいのかもしれません。他に、英語の練習はオンライン英会話で良いや、という気持ちが強くなったのも大きな原因でしょう。軒並み私の友達が母国へ帰ってしまったのを気に、私は自分のサークルを無期限活動停止としました。以来やってません。

また、それ以外にも私は国際交流系のことをしなくなりました。その時間、フィリピン人講師とマンツーマンで英会話した方が英語の勉強になるんだよなーと思ったら、英語の練習のために国際交流をするのは効率が悪いな、と思ったのです。国際交流が目的なら良いと思います。

なんだかマイナスの思い出ばかり書いてしまいましたが、もちろん私は国際交流を楽しんでいました。自分の英語が本当に通じると分かって嬉しかったし、色んな国の若者と話して、外国の生きた情報が入って来て楽しかったです。後は私は英語で相手は日本語ですが外国語学習者という点で同じ志を持つ者同士、仲良くなりやすかったと思います。同時に彼らの日本語学習のお手伝いができたことも良かったです。今でも続いている友達が居て、私がその子の国に行った時に会ったりもできましたし。直接的にはあまり勉強になりませんでしたが、友達とちゃんと会話できるようになるために一生懸命ふだんの勉強をしようと思いましたので、モチベーションを上げる良いきっかけにはなったと思います。

国際交流は英語力を付けてからにしろ、と言う意見も世の中にはあるようですが、私はそれは違うと思います。国際交流のチャンスがあれば早い段階でやった方が絶対に良いです。

いつまでも勉強だけしていては、何のために英語を学んでいるか分かりません。英語は勉強するよりも実際に使った方が楽しいです。その楽しみを、早い段階で知った方が良いです。または、下手な英語を友達に使ってみて初めてもっと頑張ろうと思うのです。

ただ、今は、もっと英語力を高めることに集中したいですし、英語を使うのは、洋書を読んだり、たまに英語のブログを書けば良いと思っているので、国際交流的なサークルやイベントは当分必要無いかな、という状態です。今度こういうサークルを作るなら、もっとしっかりしたコンテンツがあって私のやりたいことを実現できる形でやりたいですね。

その11へ続く

私の英語歴 その9 サラリーマン3年目 フィリピン留学の思い出

その8の続き

オンライン英会話のラングリッチには、フィリピン留学のコースがありました。2012年当時、フィリピン留学が流行りつつあり、私は半年ぐらいフィリピン留学に行ける人を心底羨ましいと思っていました。そのために仕事を辞めようかと思っていたぐらいです。

でも、まずは仕事を続けながらできることをしようと思い、私は10連休を取得し、ラングリッチのフィリピン校舎に1週間だけ留学しました。

私は海外渡航経験こそ、韓国とシンガポールに1回ずつあったものの、発展途上国に行ったのは、今回が初めてでした。そこで私が見たものは…………道端で裸で寝てる子供や、ショッピングモールで私をナンパしてくる金目当ての女性でした。これが途上国なのか。私はショックを受けました。

あと、全体的に空間が汚いと思いましたね。日本はマジでキ◯ガイのように清潔な国ですよ。フィリピンの学校では自分の部屋でお菓子を食べただけでアリが行列作ってましたから。これからフィリピン留学に行く人は、衛生面は要注意だと思います。

という社会勉強的な側面も強かったのですが、1週間しかありませんので、頑張って勉強しました。1日8時間のマンツーマンレッスンを受講しました。

私がやった授業は

発音矯正コースと、ニュースレッスン、TEDを使ったレッスンでした。

発音矯正コースは、マンツーマンで英語の授業が受けられるということで、当時のラングリッチの留学コースのウリの1つでした。オンラインでも発音矯正は受講していたのですが、やはり対面でやった方が音声もクリアですし先生も指導しやすいので効果はあります。けっこう厳しくトレーニングされ、私のアメリカ英語の発音はそれなりに良くなったのでした。でも今思えば、こちらの記事に書きましたが発音練習は必要無いと今は考えているので、無駄だったかも、と思います。

ニュースレッスンは、主にVOAというサイトからニュース記事を選び、先生の前で音読し、要約したりディスカッションしたりしました。これはオンライン英会話でも長く続けており、そこそこ効果のある勉強法なのですが、先生の前で音読している時間が無駄という欠点があります。でも、ニュース記事を教材にする以上、オンラインでもオンサイトでも、講師も記事の内容は初見です。すると講師が記事を読む時間が必要で、それが、私の音読中の時間になります。講師の方が英語力が高いので、私が読んでる間に理解してしまうんですね。

この問題に関しては、講師が理解している記事を教材にする必要があります。きちんと講師が管理されている英会話学校やオンライン英会話学校じゃないと難しいでしょう。

TEDを使ったレッスンも、まぁニュースレッスンとたいして変わらないですね。ただ、ジョブズの有名なスピーチなど、ありがたい話についてディスカッションすれば理解も深まるので、その点は良かったと思います。

あとはこれは実現しなかったのですが、私は文学作品を使った授業をやりたかったです。Virginia Wolfの、Mrs. Dalloway という本を読み、当時私はその難解な表現の意味を理解するヒントを探していました。分詞構文っぽい〜ingが多発されるのですが、果たしてそれは何なのか?フィリピン人講師からヒントが得られると思ったのです。

ですが、1ページ目を読んだら、講師もよく意味が分からなかったようで、授業として何をして良いか分からない、と言われてしまいました。これはその通りで、普通の日本人が急に夏目漱石の作品で授業しろと言われても無理なのと同じで、無理のようでした。フィリピン人にとっては英語は母国語でさえありませんしね。また、Mrs. Dallowayなんかを教材にしたい生徒は私だけでしたでしょうから、講師は面食らったと思います。

授業以外では、生徒やインターン生と交流できて楽しかったですね。若くして海外に来てる人達ですから、私には無い色々な情報を持っていました。英語の勉強について語り、大学生に戻ったような感覚になり、私は久しぶりに楽しい気分を味わいました。普段は英語について誰とも話をしませんでしたからね。

終わってみて、フィリピン留学で私は1週間だけですが頑張って勉強したので英語力は上がったような気がします。ただ、即座にTOEICを受けていないので、その効果は数字では計ることはできません。

英語の勉強という点だけでしたら、同じ期間日本で引きこもってオンライン英会話を使ったりして勉強してたら同じぐらいの効果が得られたかもしれません。ただ、日本に居たらそこまでモチベーションが続かないのと、あとは社会勉強的な点でとても有意義なフィリピン留学でした。日本人は発展途上国を一回見た方が良いです。

その10へ続く

私の英語歴 その8 サラリーマン2年目 オンライン英会話との出会い

その7の続き

Kindleを購入してから、私の英語学習の中心はKindleにありました。当時興味のあった投資に関する本や、小説を読んでました。小説と言えばこの時期に『チャタレー夫人の恋人』を読んだことが印象に残ってます。この本は日本で発禁になったことで有名ですが、そんなに過激ではありません。暇な人は是非洋書に挑戦してみてください。

そんな私に、英会話にのめり込むきっかけが到来しました。ちきりんという有名な人が、ブログでオンライン英会話のラングリッチを紹介していたんです。以前から英会話ができるようにはなりたいと漠然と思っていた私は、まずは無料体験もあるので、早速登録してみました。

初めてやった時は、もう本当に英語がしゃべれなすぎて、ひたすら恥ずかしかったです。矢継ぎ早に浴びせられる英語の洗礼。フィリピン人はなんでこんなに英語ができるんだと思いましたね。

中でも私を奮い立たせたのは、フィリピン人講師の

“Don’t be shy.”

という言葉。別にシャイなんじゃなくて、英語がしゃべれないだけなんです。これにはイラッとしましたね。絶対英語がしゃべれるようになってやるぞと思いました。

ラングリッチの英会話は、ほぼ毎日、2年近く受講しました。流石に毎日英語を話していれば、話すことに対して抵抗は無くなりました。もともと英文法の知識はかなりあったことが助けになりましたし。

なんとなく、英会話でよく使う表現というのが分かって来るんですね。それは “I’m fine, thank you” とか “Nice to meet you” みたいな決まり文句を暗記することではありません。自分が使う語彙を決めてしまうんです。

例えば「助動詞はcanを使う!」と決めてしまうとかなり話しやすくなると言ったことです。「〜して良いですか?」と聞く時にmay I を使わずに、can I を使う。するとcan I 〜とか、can you 〜 でかなりのことを表現できることに気づきます。レベルの高い英会話は色んな語彙が出てきますが、最初はそのレベルに達していないため、自分が使う語彙を思い切って絞ることがコツです。特に我々受験英語をマジメに勉強した人は語彙だけはそこそこあるため、使う語彙を迷ってしまうんです。

結局大事なのは、ドヤ顔で英語を話すことだと思いました。これは、その夏にシンガポールに旅行に行った時も強く思いました。英会話で必要なのは、文法とか発音よりも、ドヤ顔。自信を持って話すのが一番通じるんです。ラングリッチは私に大事なことを教えてくれました。

私はラングリッチがかなり気に入っており、ラングリッチのセブ島の校舎に、1週間だけ留学にも行きました。この感想についてはまた別の記事で書きます。

その9に続く

私の英語歴 その7 サラリーマン1年目 Kindleとの出会い

その6の続き

永遠に続くかと思った大学生活も終わりが見え、私は就活をしていました。思えば大学生活とは、人生の夏休みのようなものでした。

これには本当に参った。TOEICの点数は490点だから、当然履歴書には書きませんでした(笑)書かない方がマシだからね。

受けども受けども内定出ず、私は絶望の日々を過ごしていました。因みにTOEICの点数が低かったことは関係ありません。

最終的には、給料は高くないが残業が無いと噂され、クビになることがないというホワイトな業界に滑りこみました。誰もが知ってるあの業界です。

この業界は旧態依然とした体制に定評があり、英語がサラリーマンの必須スキルとされつつあるこの2010年代に於いて、後にTOEICで885点を獲得した私に向かって偉い人が

「英語はできても(うちの会社では)意味ないよ」

と言う職場でした。

そんな環境ですから、仕事で英語を使うことは無く、私は趣味として英語を探求していました。洋楽、洋画などの鑑賞を続けつつ日々過ごしていたのですが、1年目の夏にKindleとの出会いを果たします。

2010年当時、Kindleは日本で発売されていませんでした。ただし、Amazon.comを利用すれば、個人的にKindleを輸入することができるという情報をネットで見つけ、私はKindleを購入しました。当然日本語の本は読めません。洋書を読むためだけに買いました。

Kindleによって、私は安価にそして素早く洋書を手に入れることができるようになりました。パソコンに繋ぐ必要すら無く本を買えるKindleのシステムに私は感動していました。

私は興味がある本をたくさん買いました。大学時代に専攻していたジェイン・オースティンの小説や、”Crime and Punishment”などの世界の有名な小説。またその時、株や投資信託などの資産運用に興味があったので”Winning the Loser’s Game” などの有名な投資の教科書。買いはしましたが、ハッキリ言って読めませんでした。洋書はレベルが高すぎたのです。

洋書は、本物の英語で書かれています。TOEICや大学受験などの英文は、テストのために作られた英文であって、ネイティブらしい「文法の崩れ」がありません。ing形で適当に繋ぐ、みたいな。これは分詞構文の一種なのかもしれませんが、文法書には載っていないのではないかと思います。本物の英語を読むのは相当に難しく、買っただけで読んでない本がたくさんできました。

それでも、英和辞典をインストールして、何とか食らいついていきました。初めて読みきった洋書は先述の”Loser’s Game”でした。達成感ありましたね。因みにこの本は割と読みやすいと思います。

Kindleというデバイスに未来を感じた私は、しばらくはKindleによる読書を英語学習の中心に据えていました。オンライン英会話と出会うまでは。

その8へ続く

私の英語歴その6 大学2年生〜4年生 TOEICとの決別

その5の続き

英文学専修に進んだ私、は英語の勉強に熱心ではなかったと言っても、たまに授業で英文を翻訳しましたし、またTOEICの勉強も、ほんの少しだけやっていました。あとは、洋楽を聞くとか、ぬるい勉強はちまちまやっていました。

いちおう、もう1回TOEICを受けてみることにしました。申し込んだら勉強するだろう、と思って軽い気持ちで申し込みました。2年生の12月のことでした。

結果は490。

前より点数悪くなってるじゃーん_| ̄|○

前回は受験勉強の記憶もまだある時でしたから、当然と言えば当然かもしれません。今回の惨敗で、私は逆襲の意欲に燃え……ませんでした。もうTOEICやりたくないわ、と思いましたね。

だいたいTOEICなんて、架空のレストランの宣伝とか企業の求人とかばかりで、題材が面白くないと当時思ったんですね。今は逆にその架空の世界のおかしさが面白いと思ってるんですけど。

大学でやっていたのがTOEICと逆向するアカデミックな英語だったのもありましたし、私はもう当分TOEICは受けないと決めました。TOEICの勉強のために、くだらん文章を読んだりするのは無駄だと思ったんです。

で、本当に英語ができる人はTOEICの対策なんてしなくても900とか取るじゃないですか。だったら自分も、英語力を上げてからTOEICを受けた方が効率が良いんじゃないかと。

それからと言うもの、私は25歳になるまでTOEICの勉強を5年間全くしませんでした。代わりに、英語は自然に勉強しようと決めました。

  • 聞く音楽は全部洋楽にする
  • 英語のニュースを聞く
  • 簡単な洋書を読んでみる

こんな感じで、普段無意識に日本語で行っていることを英語に変えてやってみました。

結果的にはこれらのことはおそらく効果はあったのでしょうけど、なかなか成果が見えにくいので、あまり効果的ではないと思います。だいたい、洋楽なんて今でも全然聞き取れませんし、普通に読みたい本を読むと洋書もほとんど理解できませんし。まぁやらないよりはやった方が良いと思います。あとは、難易度を下げてやることが大事ですね。

例えば洋楽だったら、エミネムみたいに弾丸でラップするのを聞きたくても、敢えてビートルズを聞く。他にはマドンナがオススメです。ビートルズとマドンナは歌詞が聞き取りやすい歌手のトップ2だと思います。どおりで中学の授業でYesterdayとか歌ったわけです。

洋書だったら、まずは思い切り簡単なのを読みます。私は最初は、勝間和代先生オススメの”Who moved my cheese?” や”Rich Dad Poor Dad”を読んでました。ベタなチョイスですね。これぐらいなら、辛うじて読めました。

そんな感じで、英語に関しては緩い勉強を続けながら、大学生活を過ごして居ました。

その7へ続く

私の英語歴 その5 大学2年生 英文学専修

その4の続き

私の通っていた早稲田大学第一文学部は、2年生になる時に専修という、専門分野に分かれます。当時私は教育に興味があり、将来は教師を目指していました。なので教育学専修というコースを志望していました。

希望者が多い専修は成績順に、希望の専修に進級できる人が決まります。私は大学の授業にはさほど熱心ではなかったので成績は悪く、教育学専修に入れませんでした。第二志望の英文学専修に進むことになります。英文学専修と言うと、南山大学や青山学院大学では花形の専攻ですが、早稲田の第一文学部では全くそんなことはありませんでした。我らが英文学専修はゼミが無く、異常に学生の数が多かったです。つまり、希望の専修に入れない人の受け皿のような専修でした。

と、ここで

「大学の時は英語を専攻してました」

なんて言いましたが、すると

「じゃあ英語できて当たり前だよね。ペラペラなんでしょ?」

と今でもよく言われます。が、

「英語力とは関係無いです」

と全否定したいです。今でこそ私は英語をそこそこしゃべることができ、TOEICも高得点が取れますが、それは後述しますが主に大学を出た後に独学した成果ですから、英文学専修はほぼ関係ありません。

じゃあ英文学専修で何をやっていたかと言うと、日本語訳された英米の小説を読んでました。英語で論文書いてません。全部日本語で書きました。

英語力は身に付きませんでしたが、私の英語好きや未だに続く英語学習へのモチベーションは、ここで英文学を学んだからだと思います。英米の小説を読むのは、かなり面白かったんです。いつかは英語で読んで理解したいな、と当時思ったことが、今でもモチベーションになってます。まぁ、他の学部の人が難しい数式解いたり、経済学の理論学んだり、司法試験の勉強したりしてる間に私は大学の授業で映画を見たり恋愛小説を読んでた(いちおう英米文学です)だけですので、楽しくて当然ですね。

特に気に入ったのは、ジェイン・オースティンでした。オースティンの凄さを3つにまとめると、

  • 何でもない日常を面白く書いた
  • 現代まで続く普遍的なテーマを扱っている
  • 小説の原型を作った

ということです。一番有名な作品が『高慢と偏見』という作品なのですが、これは全てのラブストーリーの原型になりました。『花より団子』とか『ブリジット・ジョーンズの日記』とか、『高慢と偏見』を下敷きにした作品というのは物凄くたくさんあります。イギリスを代表する女流作家ですから、日本で言う紫式部みたいなものです。

後は、ハーマン・メルヴィル、ジョセフ・コンラッド、ヴァージニア・ウルフなんかを読みました。これらの古典を英語で理解するというのは私の目標の1つです。TOEICの勉強とは全く異なるものですが。

そんなわけで、文学の勉強はそれなりに楽しんでいましたが、この頃、英語力は全く伸びませんでした。もう1回TOEICを受けた話を次回書きます。

その6へ続く

私の英語歴 その4 大学1年生 初めてのTOEIC

その3の続き

めでたく早稲田大学に入学した私は、最初の頃は勉強する気に満ち溢れていました。何せ受験勉強中は早稲田大学が楽しい大学だなんて全く知りませんでしたので、勉強グセがまだ抜けていなかったんです。

受験勉強の後は、TOEICだろ。

と思って、私は大学1年生の7月にTOEICを初めて受験しました。勉強する気があったとは言え、大学に入りたてで、必修の中国語の勉強や、始めたばかりのサークルやバイトなどで毎日忙しく、ほとんど勉強しませんでした。トリプル模試か何かを買ってちょっと解いただけでした。この時、公式問題集でも買ってれば何か違ったかもしれませんが、公式問題集は「値段が高い」という理由で買いませんでした。

スコアは550でした。

これはショックでしたね。曲がりなりにも英語は得意科目で、早稲田大学に入ったぐらいですから、700点ぐらい取れると思っていました(笑)実際、受験英語の応用でそれぐらいのスコアが取れる器用な人も早稲田大学にはたくさん居ましたが、私はそうではありませんでした。

受験英語の頃から、私は問題を解くのが遅かったんです。そのかわり正答率はかなり高い。そういうスタイルで試験を切り抜けてきましたので、TOEICでもそのクセが出てしまいました。リーディングが最後30問ぐらい手が付けられず、死んでましたね。

早稲田の試験にはリスニングは無いのに、何故かリーディングよりもリスニングの方が遥かに点数が高いという……。まぁ今でもその傾向は変わりませんが。

散々な初受験で私は、すっかりヤル気を無くし、それからTOEICの勉強は、ほぼしませんでした。たまに気が向いた時に問題集を買ってちょっと解くぐらい。あとは単語帳なんかも買った記憶がありますが、全然身につきませんでした。この頃から英語に関して私は長いスランプに突入します。

というか大学が楽しすぎて、TOEICの勉強どころではありませんでした。遊んでばかりいる普通の大学生だったのです。

その5へ続く

私の英語歴 その3 高校3年生(受験勉強)

その2の続き

高校3年生になり、私は受験勉強を始めました。

高校では劣等性だったため、勉強は嫌いでしたが、いざ自分で受験勉強を始めてみると、勉強が楽しくなりました。自分は勉強が嫌いなんじゃなくて、勉強を強いられることが嫌いだったんだなぁと気づきました。

私は数学ができなかったため、国立大学は諦め、早稲田大学を目指しました。国語と英語と世界史の3つなら何とかなるだろう、と全国の数学できない高校生が安直に考えることを私も考えていました。とは言っても、急に受験勉強を始めても、勉強の指針がありませんから、序盤は無駄が多かったです。

長文読解が主体の入試問題だから、読むスピードを身につける必要があると考えて、私が最初に取り組んだのが、超ベストセラー単語帳速読英単語 (1)必修編 [改訂第6版]
でした。これを別売りのCDを使って、シャドーイングを行い(実際は本を読みながらなのでオーバーラッピングです。当時はこれがシャドーイングだと思っていた)、英語の感覚を身につけようとしました。

夏になり、私は書店である本と出会います。それが和田秀樹の受験は要領 テクニック編―「参考書は何をどう使うか」から、効率のいい勉強法・生活術まで (PHP文庫)
です。この本は「勉強法」について書いた本で、私はこの本を読んで初めて、勉強法というものを強烈に意識するようになりました。私の学校は進学校でしたので、学校の先生がいろいろ指導してくれるんですね。学校で問題集を買わせて、それを解くことを宿題にする。それが、Next Stage みたいな本当にしょうもない本で、やらない方がマシ、って感じの本ばっかりでした。

私は和田秀樹のおかげで先生達に見切りをつけ、夏からは独自の道を切り開くことにしました。とは言え、まだ無駄が多かったです。和田秀樹の本で『基本英文 700選』を暗記するのが良いと読み、必死でこれを音読して暗記していましたが、これは効果があったとは思えません(笑)その時間に実況中継でもやったら良かったと今では思います。

『受験は要領 テクニック編』はオナニーは1日1回にしろとかそんなことまで書いた凄い本でしたが、古い本でしたので問題集等の情報は古かったのです。それでも、その本を読む度に勉強をヤル気が湧いて来たので、素晴らしい本には違いないですが。

無駄もたくさんありつつ、毎日コツコツまじめに勉強していたら、私の偏差値はどんどん上がっていきました。やはり先生の余計な指示を無視したら、勉強はなんと楽しいんだろう、と当時の私は思っていました。そして、私は12月のマーク模試の日に名古屋のジュンク堂で運命の本と出会います。

それは大西泰斗先生のネイティブスピーカーの英文法絶対基礎力 (Native speaker series)のことで、詳しくは文法力強化編に書きましたのでこちらには書きませんが、これは本当に私の英語力に革命を起こしました。相手が早稲田の問題だろうと、英文の理解力が段違いに上がったのを感じました。この本を読んで何も感じない人も中にはもちろん居ると思いますが、少なくとも私には革命の書でしたので、これは本当にみなさんにオススメします。

冬休みは、敢えてセンター試験の問題をやりました。早稲田志望とは言え、田舎の公立高校では、国立大学も受けないと先生が許してくれないので、いちおう名古屋大学に出願するつもりでした。センターの問題を追試含め、約30回分解きました。このころは完全に受験マシーンになっており、休日は毎日9時間勉強して夜は11時半に寝るというのを徹底していました。

センター試験では、たしか英語は187点ぐらいでした。とはいえ、志望校は早稲田ですから、特にアドバンテージがあるわけではありません。英語は高得点でしたが、数学は200点満点中の70点ぐらいで、ああこれは国立大学は落ちたな、と思いました(笑)

早稲田の入試までは、ひたすら早稲田の赤本をやりました。基本的に試験の過去問をやるタイミングは、本当はもっと早い方が良いのですが、直前の最も集中している時期にやったことが逆に良かったかもしれません。私は密かに早稲田に合格することを確信していました。入試1週間前にそれを母親に言ったら

「あんた何言っとるの」

と言われました。

私は生来本番に強い体質なので、入試本番では、実力以上に力を発揮し、試験後に予備校が配布している解答で自己採点したら、まぁ受かるだろう、という点を取っていました。このブログは英語のブログなので書きませんでしたが、実は私は英語より国語が好きだったので国語の方が勉強時間も多く、得意だったため、国語の点数もかなり合格に貢献しました。

結果は、第一文学部に合格。教育学部は不合格でした。本当に和田秀樹が理想とするような、ギリギリの合格でした。ちなみに携帯電話からその合格を確認したのが、名古屋大学の入試当日の朝でした。合格を知り、私はもう名大の入試なんか受けずに帰ろうかと思いましたが、そこはアカデミーへのリスペクトの精神から、いちおう解答用紙を埋めてから帰りました。

田舎の家庭なので、地元の国立大学に行くことが最も良いことだとされているので、もし名古屋大学に受かっていたら私は早稲田に入学できませんでした。もちろん名古屋大学には落ちましたが、いい加減に解いてきて本当に良かったと思います。

晴れて私は、2006年の4月から早稲田大学の学生になったのでした。

その4へ続く