その2の続き
高校3年生になり、私は受験勉強を始めました。
高校では劣等性だったため、勉強は嫌いでしたが、いざ自分で受験勉強を始めてみると、勉強が楽しくなりました。自分は勉強が嫌いなんじゃなくて、勉強を強いられることが嫌いだったんだなぁと気づきました。
私は数学ができなかったため、国立大学は諦め、早稲田大学を目指しました。国語と英語と世界史の3つなら何とかなるだろう、と全国の数学できない高校生が安直に考えることを私も考えていました。とは言っても、急に受験勉強を始めても、勉強の指針がありませんから、序盤は無駄が多かったです。
長文読解が主体の入試問題だから、読むスピードを身につける必要があると考えて、私が最初に取り組んだのが、超ベストセラー単語帳速読英単語 (1)必修編 [改訂第6版]
でした。これを別売りのCDを使って、シャドーイングを行い(実際は本を読みながらなのでオーバーラッピングです。当時はこれがシャドーイングだと思っていた)、英語の感覚を身につけようとしました。
夏になり、私は書店である本と出会います。それが和田秀樹の受験は要領 テクニック編―「参考書は何をどう使うか」から、効率のいい勉強法・生活術まで (PHP文庫)
です。この本は「勉強法」について書いた本で、私はこの本を読んで初めて、勉強法というものを強烈に意識するようになりました。私の学校は進学校でしたので、学校の先生がいろいろ指導してくれるんですね。学校で問題集を買わせて、それを解くことを宿題にする。それが、Next Stage みたいな本当にしょうもない本で、やらない方がマシ、って感じの本ばっかりでした。
私は和田秀樹のおかげで先生達に見切りをつけ、夏からは独自の道を切り開くことにしました。とは言え、まだ無駄が多かったです。和田秀樹の本で『基本英文 700選』を暗記するのが良いと読み、必死でこれを音読して暗記していましたが、これは効果があったとは思えません(笑)その時間に実況中継でもやったら良かったと今では思います。
『受験は要領 テクニック編』はオナニーは1日1回にしろとかそんなことまで書いた凄い本でしたが、古い本でしたので問題集等の情報は古かったのです。それでも、その本を読む度に勉強をヤル気が湧いて来たので、素晴らしい本には違いないですが。
無駄もたくさんありつつ、毎日コツコツまじめに勉強していたら、私の偏差値はどんどん上がっていきました。やはり先生の余計な指示を無視したら、勉強はなんと楽しいんだろう、と当時の私は思っていました。そして、私は12月のマーク模試の日に名古屋のジュンク堂で運命の本と出会います。
それは大西泰斗先生のネイティブスピーカーの英文法絶対基礎力 (Native speaker series)のことで、詳しくは文法力強化編に書きましたのでこちらには書きませんが、これは本当に私の英語力に革命を起こしました。相手が早稲田の問題だろうと、英文の理解力が段違いに上がったのを感じました。この本を読んで何も感じない人も中にはもちろん居ると思いますが、少なくとも私には革命の書でしたので、これは本当にみなさんにオススメします。
冬休みは、敢えてセンター試験の問題をやりました。早稲田志望とは言え、田舎の公立高校では、国立大学も受けないと先生が許してくれないので、いちおう名古屋大学に出願するつもりでした。センターの問題を追試含め、約30回分解きました。このころは完全に受験マシーンになっており、休日は毎日9時間勉強して夜は11時半に寝るというのを徹底していました。
センター試験では、たしか英語は187点ぐらいでした。とはいえ、志望校は早稲田ですから、特にアドバンテージがあるわけではありません。英語は高得点でしたが、数学は200点満点中の70点ぐらいで、ああこれは国立大学は落ちたな、と思いました(笑)
早稲田の入試までは、ひたすら早稲田の赤本をやりました。基本的に試験の過去問をやるタイミングは、本当はもっと早い方が良いのですが、直前の最も集中している時期にやったことが逆に良かったかもしれません。私は密かに早稲田に合格することを確信していました。入試1週間前にそれを母親に言ったら
「あんた何言っとるの」
と言われました。
私は生来本番に強い体質なので、入試本番では、実力以上に力を発揮し、試験後に予備校が配布している解答で自己採点したら、まぁ受かるだろう、という点を取っていました。このブログは英語のブログなので書きませんでしたが、実は私は英語より国語が好きだったので国語の方が勉強時間も多く、得意だったため、国語の点数もかなり合格に貢献しました。
結果は、第一文学部に合格。教育学部は不合格でした。本当に和田秀樹が理想とするような、ギリギリの合格でした。ちなみに携帯電話からその合格を確認したのが、名古屋大学の入試当日の朝でした。合格を知り、私はもう名大の入試なんか受けずに帰ろうかと思いましたが、そこはアカデミーへのリスペクトの精神から、いちおう解答用紙を埋めてから帰りました。
田舎の家庭なので、地元の国立大学に行くことが最も良いことだとされているので、もし名古屋大学に受かっていたら私は早稲田に入学できませんでした。もちろん名古屋大学には落ちましたが、いい加減に解いてきて本当に良かったと思います。
晴れて私は、2006年の4月から早稲田大学の学生になったのでした。
その4へ続く